YOKO's Monologue

気まま女子大生の徒然備忘録

YOKO's Monologue

ひとりごと 自虐と愚痴と自己分析

愛ってなんなんですかねえ

 

ここ半年ずっと抱えている悩みである

私はたぶん恋人を愛せていない

 

両親にまで聞いた。

なんで結婚したの?

何がそうさせたの?

 

母親は照れて、父親はトイレに立ってしまった様子を見て

心からうらやましいと思った。

 

大学生時代に出会って、数年間の遠距離社会人時代をこえて

交際10年経て結婚した私の両親。

今でも仲良しで愛し合ってるのがもう、そりゃもうわかる。

 

ちょっと前まではわたしも自然とそうなるもんだと

大学に入ればそんな人と出会えるんだと思ってたんだけどなあ

 

なかなかねえ難しいのよねえ

 

好意を向けてくれる人はそれなりにいるし

平均交際年数は3年と一度付き合うと長いし

「愛される」経験はしているのだけど

 

愛せたことってあるかしら。

 

私のなかでは愛ってなんか献身的なもので

自己犠牲が伴うものって感じなんだけど

なんだかんだ自分が大切だから

そんな女になってたまるかという意地があるのですわ

 

恋愛至上主義な友達はいつも苦手だったし

きみのことがすきでー狂うーみたいな

JPOPに共感したことないし

 

「私と仕事どっちが大事なの?」って

聞く女も嫌いだし

「君のために働いてるよ」って

答える男も嫌いだし

それに喜ぶ女も嫌いだし・・・・(個人の意見です)

 

それぞれ自立した人生を持つけれど方向の似ている2人が

ともに生きていくのが理想なんですね、私の

私のことは優先順位一番でなくていいし、私も常に一番にはできない

ここらへんの恋愛感はとても大切にしてて

今も実現できているとは思う

 

ただ、それは恋愛なのか?

というのが最近の疑問

 

愛されているとは思う

けど愛せているのかな

 

今まで付き合った人は2人。

最初の人は私が告白して付き合ったけど

嫌われるのが怖くてだいぶ長いこといい子ぶってて疲れた。

ひどく傷つけて別れた。

 

絶対に今度こそは円満なカップルになるぞと息込んでるとき

今の彼に出会った。別に可もなく不可もなくな人だった。

 

半年ほどデートを重ねてああなんかこのままでいいなって思ってたとき

私の誕生日に合わせて告白してくれた。

寒空の下ずっと待ってたんだって。

Jpopの歌詞か。

いやそれが素直に嬉しくて

「こんなに愛してくれるなら」と付き合い始めた。

でもなぜだか同じ結果になりそう。

なかなか自分のことが話せない。とても距離のある二人になってしまった。

全部私のせいなんだけど。

 

愛されることばかり自然に重視して

相手に嫌われそうなところは自然と見せないようにしてた。

 

自立した二人ではあったけど

わたし親友みたいなカップルも理想なんだよね。

 

それとはほど遠く。

愛されることにかまけて愛せてた自信が全然ない。

 

自分を愛せない人は他人も愛せないって言うけど

それも一理ある。

他人の愛で自己肯定感を補おうとしてるところは認める。

 

でも自分を愛せても本気で誰かを愛せる自信はないなあ

 

JPOPの歌詞みたいに、メタファーみたいに、

恋は落ちるものでクレイジーになって泣いて

そんな恋愛ほんとうにあるんでしょうか

それともそうじゃないものは恋愛じゃないと洗脳されてるだけなんでしょうか

 

さっき雨にあう音楽を探してDヒッツ(ドコモの音楽聞き放題アプリ)を見てたら

女子大生に響く等身大の LOVE SONGー大好きが止まらない特集ー

というプログラム(テーマごとに様々な曲がリストになっている)があった。

 

女子大生だからってそんなにみんな大好き!な恋してるんですかね

今若者恋愛離れしてるじゃないですか

たしか6割だかが経験なしとか。

そのうち4割は恋人いらないだとか。(うろおぼえ)

 

あんまりあるべき恋愛を押し付けずに

恋愛がわからないワカモノに寄り添ったラブソング(といえるのか)とかないんですかねえ

 

話がそれた。

きっとかわいそうな人なんでしょうね、私。

 

好きになった人がいないわけじゃないのよ

ただ、憧れで終わらせてしまうというか。

憧れと好意のちがいは傷つく覚悟があるかどうかだって。

傷つきたくないんですね。たしかに本気でぶつかったことない。

 

はあ、ディスりながら憧れてるんです、Jpopの歌う恋愛に。

うらやましい、本気で泣いて悩んで傷ついて。

ほんとにあるのか知らんけど。

 

理想の恋愛観をかかげつつなんも努力してない。

運命の人なんて育てていくもんだってわかってるのに

運命の人の出現をどこかで信じてる。

傷つけあってさ、めんどくさくても作っていくのが恋愛なのにね、

めんどうなんだよね、今どきのワカモノらしいこと言っちゃうけど。

 

本心はただ傷つきたくなくて

恋愛なんかに振り回されるのなんてださいし

私にはめざすところがあるの!という自分が好きなだけ。

 

自己実現とひととくくりにすれば人をちゃんと愛せる自分なりたい

というのも私のめざしたいところだなと

やっと

今になって

気づいたのであります。

 

遅すぎた。

間に合った、のか。

 

 

 

 

 

愛されるより愛したい

「愛されるより愛したいんだよね」

 

時々ぼやく人がいる。

なんだなんだ、散々モテてるけどいい人いないんだよねアピールか?

と前は思ってた。

けど、最近は自分もなんとなく共感することが増えて

悩みのようなけっこう重たい難題であることに気づいてきた。

 

なんだかかっこいいポリシーのようにも聞こえるけど

実際、実現できてる人ってどれくらいいるんだろう。

 

愛されるっていうのは

身内だったり他人だったりに自分の存在価値が認められ、求められ、自分の居場所ができること。

 

愛されたいという欲は人間誰しも持っているはずで

マズローの5段階欲求でいうと4段階目の内的に認められたい「承認欲求」に当てはまるもの。

そりゃあ万人に好かれないとしても自分を認めてくれる人はいてほしい。

 

愛したいというのはその上の「自己実現欲求」に属するものではないかなと。

ただ愛したいんじゃなくて、「愛されるより愛したい」。

愛されるために愛したいんじゃなくて、大げさに言うと愛されることがなくても愛するという無償性があるもの。

少なくとも自分は愛していたいという自己実現のひとつになるんじゃないかな。

 

ここで一度は頭によぎったであろう

kinki kidsの「愛されるより愛したい」の歌詞を見てみる。

 

「どうだっていいじゃんそんなこと

なんだっていいじゃんそんなこと」

おきまりの強がりを言っても

 

みちで拾ったチラシで紙ヒコーキ飛ばした

気持ちとは反対へ飛んでく

 

ギリギリの大人たちが積み重ねてるすべてのもの

壊さなきゃ新しい明日は来ない

 

愛されるよりも愛したい真剣で

いい加減で頼りなくてそんな僕だけど

悲しみの天使まだ迷うけれど

青い風に吹かれながら走り続けたい

 

現状に何かしらの不満がありながらどうでもいいふりをして過ごす。

でも行きたい方向というのは明確にあって、

そちらへは壊さないといけないし、ためらいもある。

 

この歌はいろんなシチュエーションが想像できるけど

「愛される」という他動的に作られた環境の中で

自分を殺して生きていてもいいのか

自分の思う方へ走り出したいっていう葛藤を感じる歌に聞こえた。

 

対象はなんであれ、愛するという行為は

強い決意のもと生まれるものであって

最高の自己実現なんではないかな。

 

ただそれには犠牲も伴う。

2番の歌詞を見てみる。

 

「泣いたっていいんじゃつらいなら

逃げたっていいんじゃつらいなら」

恥ずかしいことじゃない...だけどね

 

シャツを脱ぎ捨てた胸

なんだか急に空っぽで

鏡に映る僕は誰だろう

 

初めからかっこのいい

おとなになんてなれないから

怖がらずそのドアを開ければいいだけ

(中略)

扉の向こうに光る空はあるの

わからなくてつかめなくてそんな僕だけど

悲しみの天使まだ迷うけれど

青い風に吹かれながら走り続けたい

 

愛することの対象が人間だった場合

愛してくれる対象と愛する対象が必ずとも同じとは限らない。

愛することを決意すれば自分へ向けられる愛は実りのないものになる。逆も然り。

当然、愛した分の見返りを求めてしまうもので、

無償の愛なんてむなしいったらありゃしない。

たいてい一方的に愛し続けるというのは不可能。

 

2番の歌詞は

愛することを決意したことで、見返りのないつらさや

自分にむけられた愛が消えたことによる虚無感

この先本当になりたい自分になれるのかという不安

を表している気がした。

 

それでも扉開けちゃうんですねえ。

 

いやあなんて深い歌だったんだろう。

数時間前までサビしか、いやワンフレーズしか知らなかったから衝撃。

 

愛されるより愛したいというのはどれだけ

勇気のいる自己実現欲求かというわけです。

 

キンキさながらにこのフレーズをつぶやく人はここまで大げさじゃないにしても

それなりに承認欲求は満たされ、さらなる自己実現を目指す、実は崇高な人なのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

嫌われる勇気

 

なんて自分はだめなんだ

変わりたい

 

そんなことを思い続けて早8年ほど経ちましたかね

多少なりとも成長はしつつも

自分が変われない部分を痛いほど感じている

 

対人関係。

もうこれがほんとに最大の問題点。

 

それなりにコミュ力もあるはずだし

ばかできる友達だって

尊敬してる友達だって

なんでも話せる親友だって

いる。

 

だけど昔から私は人の評価を無意識にして

彼らを自分より上か下かと無意識に評価して

態度を変えていたのです。

なんどもいうが無意識にです。

 

評価軸は変化しているけれど

基本的に「上」になるのはスクールカースト上部の人間や

能力の高い人。最近では自分の意見を強く持ってる子とか。

「下」になるのは、それの反対。

気の弱い子とか、静かな子。

あとは自分に似ている子とか。

 

そして上に当てはまる彼らには見下されるのをおそれ

気を使ったり、距離をおいたり。

 

それだけじゃない。

人に注目されるのもこわい。

責任を負うのもこわい。

 

なぜこんなことになるかというと、

私は異様に外からの評価を気にするから。

評価=自分の価値

でここまで生きてきてしまった。

 

薄々気づいてはいたのだけど、

今日はちゃんと向き合う。

 

こないだ「嫌われる勇気」を読んで

アドラー心理学をちょこっとかじったのだけど

とても納得したし、私の問題点がすっきりしたので

それも踏まえて記録。

 

誰にでも承認欲求はあるけれど、それが強い人は

自己中心的なんだと。

人の反応ばかりうかがっているように見えて

本当は自分の体裁が一番大事。

 

自分は世界の中心ではないし、評価されることによって

他人との関係が許されるのでもない。

 

自分は大きな共同体の一部にしかすぎない。

でもそれはとても大きなもの。

学校、職場、家庭とかいった小さなコミュニティーで

私の存在は完結しない。

 

幸福は貢献感だとアドラーは言う。

貢献感をいだくことで大きな共同体のどこかで

所属感を得ることができる。

 

その貢献感というのは相手から「貢献してもらった」

という返事はいらず、ただ主観的に自分が感じれればそれでいい、ともいう。

 

まずは自己受容をする。

変えられないものは受け入れ、変えられるものは変える。

そして他者を信用する。

 

すべての他人は対等な横の関係である。

子供も大人も関係なく。

それぞれが課題を抱えているが

他人に認めてもらう、好いてもらうといったことは

すべて他人が決定する課題であり、

自分には介入できるものではない。

そこは信頼して待つしかなく、自分の課題に集中すべき。

そして評価はなく、感謝だけすればいい。

対等なのだから。

 

相手が子供であっても勉強しなさいという介入は

他人の課題への介入であり、ただよりよい選択肢への援助

や協力をすることが望ましい。

 

他者のために役立っていると自分が思えるために

貢献をすればいい、と。

 

私は人に嫌われるのを極端におそれる。

なににおびえているんだろう。

ずっと私の中にあった疑問だ。

 

その先まで考えることはしなかった。

逃げないで考えてみよう。

 

人からの評価はまさに私の価値だった。

ここにいていいと、彼らとともにいていいという証。

所属感というやつ。

 

ただその評価に縛られるがゆえに

自分をうまく出せなくなってきた。

 

相手に合わせすぎて会話がうまくできない。

正解があると思って自分の意見が言えない。

責任逃れから後輩への指導を避ける。

嘘をつく、見栄を張る。

 

もう偽ってるじゃねえか笑

 

素晴らしい人間でないといけないと、

他人にとって価値のある人間でないといけないと。

息苦しいのにまた無理してうまくいかず

最後はあの子になれたらいいのに。

自分を放棄しようとする。

 

薄々きづいてはいたんだ、

就活の自己分析の時も私は

人に評価されて動いて、さらに評価されるために動いてた。

アフリカ行ったのもそう。

何か大きなことして評価されたいという欲があったのは否めない。

アイデンティティ的なアフリカの興味だって

彼らを下に見て、彼らを助けてメサイア的に評価してもらいたかったんじゃないのか。

スピーチだって先輩やジャッジさんに一言ほめられていなかったら、ずっと冴えない幽霊部員のままだっただろう。

 

ああ、絶望する。なんてやつだ。

 

なぜ評価に縛られるんだろう。

人に愛されている自分が好き?

んー答えになってないな

 

他にはどんな自分が好きだろう?

行動力あるところ?

ダンスしている時?

素敵なカフェにいる時?

だめだ、全部客観的視線を意識したものだ、

 

外面ばかり気にしてたら

自分の中身がよくわかんなくなった。

自己中なくせにきちんと自分を見つめられていなかった。

 

小学生のころは無駄に自信があったのにな。

たくさん傷つけたし傷ついたな。

 

自分の好きなものなんだろう。楽しかったのはなんだろう。

絵を書いていた時。

弾きたい曲を無心で練習した時。

全力でやった缶蹴り。

仲間はずれにされても仲良くした友人たち。

 

さっきメサイア的に評価されたかったといったけど

初めてアフリカやイラクの現状を知った時に

湧き上がった正義感なる情熱も

私の大事な感情だったきがする。

 

あ、幸いだったのは情熱をもとに就活を終えられたこと。

変に虚構をつくらなくてよかった。

 

 

大事なものを少しずつ思い出してきた。

無駄に人の気持ちを察してしまうところも

自分が決めた正しいと思う道を進むところも

大切にしたいね。

自己受容はできそうかな。

 

そして他人への信頼。

私は「下」にあたる人は敬ってくれるからという意味では

関係に信頼をおいていたかもしれない。

でもそうじゃなくてみな対等に。

嫌われること、見下されることおそれずに

まずは信頼してありのままぶつからなきゃ。

こわいけど。

 

自分の評価のためじゃなくて感謝をえるために、

でもあくまで自分のために貢献感をえよう。

 

これは今年の目標かな。

 

まずは自分が主観的に好きだと思える自分を見つけよう。

きちんとありのままを愛そう。

そして他人を信用しよう。おそれずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シューカツ戦争

 

真っ黒い髪 真っ黒いスーツ 真っ黒いカバン 

一目見て彼らが何をしているかすぐにわかりますね。

シューカツ。

先日面接解禁されたわけで、

真っ黒いかれらがこんなくそ暑い中

がんばっている姿を見かけます。

 

さて一応当事者であるわたしはというと

引きこもりニートをしています。

社会不適合者だけど就活から逃げたわけではないよ笑

 

半年前ついに自分の番がきてしまい、怯えつつ いやがりつつ

まあ未知の世界を知れるなあくらいの気持ちで

おもしろ半分で始めてみました。

 

迷いながら決断しまた迷ってたら。終わってた。

うん、それなりにちゃんとやったんだよ。笑

 

その振り返りと思ったことを残しておこうかなと思います。

 

就活前、

作りたい世界やなりたい自分像はなんとなくあったけれど

やりたい仕事に落とし込むことができずにふらふら。

 

説明会の話を聞いては事業内容を自分のやりたいことに無理くり

結びつけて考えるがゆえにどれも面白く見える。

 

それでも自分が目指したい世界を一番に考えてきた。

就活を進めていくにつれてその軸が固まり、

志望動機はどの会社にも同じように伝えたし

よくも悪くも自分に嘘をつかずに進めてきた。

リュックで面接行ったり、ドタキャンもしたり。

 

第一志望は決められなかった。

だってなにもわからない状態だし、

私のやりたいことできる場所はあんのかい?受け入れられるかい?

って割と強気な態度だった気がする笑

 

それで、最後の決断の時に気づいたこと。

複数選考が進んでいて、内定もあって

その中には大手で知名度もあって給料もいいところがあって。

そのしょうもないうわっつらな部分(私の就活の軸からするとね)

に惹かれてしまう自分もいて、

正直事業内容も興味あるしーどうしよ。って状態の時。

 

よく言うけど、正解はない、わかってる。

どこへいっても正解にできる自信はあった。

 

「覚悟決めないと。」

ある会社のリクルーターの方に言われたこと。

私は、自分の要求を受け入れてくれるところを消去法で

選りすぐってた。

でも、最後は自分が選んで自分で掴みにいかないといけない。

 

ここでいい、じゃなくて

ここがいい、じゃないと。

正解にできそう、じゃなくて

正解にしなくちゃ。

 

なんだかんだ発信はしてたけど受信先ありき思考だったなー

もしこのまま入社してやりたいことができなかったら

他人のせいにしてたかもな。

 

この先どんなことあろうと自分が決めるんだから

自分がやってやる。くらいの意思がなくちゃあねえ。

 

いいこと教えていただきました。

 

そのリクルーターさんが私の先輩になりました。

 

憧れてでも落ちた企業もたくさんあって

半年前は思ってもいなかったとこにたどり着いたけど

行くべきところに行くようになってる気もするー。

 

選考過程で自分のいやなところたくさん知ったけど

少し成長できたのでしょうかね。

 

うん、なんだかんだ楽しかったさ。

スーツはまじ嫌いだけどな。消えろ。

 

と、自分は新たなスタート地点にすがすがしい気持ちで

たてているのですが、

奮闘中の友人もたくさんいて。

彼らと話すとやっぱり、

シューカツのひがみ、優越感、競争、軋轢

をどこかで感じてしまうのです。

あの「何者」の世界ですね。

 

実際わたしも見栄はりました、はい。

 

まあね、より難しいところ=外資、大手、高給とり

の内定ゲットは自分の人間としての価値の高さを

証明することになりえますからね。

 

別にそこがゴールでもいいんだよ。

まあ、なんか復讐とか?金目当てとか?

いろいろ理由はあるのかもしれませんけども

だとしても

 

みんなちがうじゃん。

それぞれの生き方じゃん。

 

目指すところは違うのに

他人の

内定先知名度とかさ、給料の高さとかさ、職種のかっこよさとかさ、内定の数とかさ、終了の早さとかさ、オフィスのオシャレ度とかさ

関係ないじゃん。

 

そりゃあね、わたしも思ったこと何度もあるよ、

ああ、あの人はすごいな、あんな大手に、いいなあ

 

でも、自分のしたいこと、進みたい道が見えてからは

不思議と思わなくなった。

よそはよそ、うちはうち。

 

友人と話してて思ったのは、

そういう自分のゴールが明確でない人ほど

他人のゴールへの干渉が強まるのではないかなということ。

 

やりたいことなんてね、たしかに見つけづらいさ。

それでも考えることはいくらでもできると思うんですよ。

 

とりあえず、大手。とりあえず、給料。

でもなんで、社会的ステータスが欲しいんだろう?

お金がほしいんだろう?

認めて欲しいとしたらなぜ?他に方法はないの?

どういう自分になれば満たされる?

 

シューカツは戦争ではないんですよ。

敵は企業でも、友達でも、意識の高い就活仲間でもないんですよ。

どれだけ自分に向き合えるかではないかなーと実感してます。

 

生き方だから、ね。

 

自分の生き方を探して、合うところを探して

覚悟持って選べば

シューカツはそれで成功なんじゃないかなーー。

 

 

 

みんなの就活が成功しますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セルフリノベ

セルフリノベ始めませんか。

 

今回は私が最近始めたセルフリノベについて!

 

なんだ、自分で部屋改造するのか?

 

、、、いえいえそんなことは始めてません。

(いつかはやってみたい!!)

 

セルフリノベ、よくそういう意味で使われますが、

 

自分「を」リノベする。

という意味で私は使ってみます。

 

よく建築関連で使われることが多いですが、

Renovation は修正・再開発・改訂

という意味です。

 

さあ、ここで注目したいのが

 

Innovation ではないということ。

イノベーションは刷新、革新といった意味ですが、

ふたつの語には大きな違いがあります。

 

イノベはゼロから新しいものを作る感じ。

リノベは既存の物を新しく変える感じ。

 

そう、セルフリノベというのはこれまでの自分を否定することなく

それはそれとしてよりよい自分になろうと試みることなのです。

 

まだ伝わりきってないと思うので、私がこう思うに至った経緯をお話したいと思います。

 

 

 

だらしなくて、何をやるのもギリギリ、こつこつ努力なんて無理、

数年前からいやだなと思う自分は何一つ変わっていませんでした。

 

最近はTOEICも受けにいかなかったり、遅刻も日常茶飯事、部屋も汚かったり、やろうと思っていることはすべて未来の自分に放り投げ。

自己嫌悪に陥って変わろう!と決心するだけまた落ち込むの悪循環。

 

そこで手に取ったのが

数ヶ月前に買っていつか読もうと思っていた

スタンフォードの自分を変える教室」です。

今更感がありますが、読んでない人もそれなりにいると思うので許して。

 

うさんくさい自己啓発の本なんか腐るほど出回ってるけど、

これは本当に読む価値がある。

著者のケリー・マクゴニガル先生は心理学者でこの本ではさまざまな

科学的根拠をもとに(これめっちゃ大事)

実際にスタンフォードでの受講生に変化をもたらした

「自分を変える方法」が載っているんです。

 

 

その中でも私が感銘を受けた部分がこれ。

 

衝動的で怠け者で誘惑に負けやすい自分を「ほんとうの」自分だなんて思う必要はない。「ありのままの自分が最高の自分になることを望んでいる」と自覚すること。

 

さてどういうことかというと、この章では、

モラル・ラインシング効果について書かれていました。

簡単にいうと、人はいいことを(しようと)した後、それに満足して悪いことをしてもいいだろうと、反対の行動をとってしまうということです。

 

ダイエット目指す人が

今日はがんばって走ったから、デザートも食べちゃお!

的なことです。

 

自己コントロールを求めるあまり自分の目標にたいしてがんばる自分を善、

怠けたくなる自分を悪などと考えてはいけないと先生はいいます。

人間は本能的に怠けたくなるんですもの、みんなそう。

それをほんとうの自分として、なんとかご褒美作戦でだましだまし努力するのはちがう。

自分がなりたいから努力しているのだと、

正しいことを望んでいる自分を自覚しなければならないのです。

 

 

 

ここすごく響いた。

だめな私が本当の自分。

その自分は消し去って、素晴らしい自分にならないといけない、

そうずっと思ってた。

 

でも全然ちがったのね。

だって他の章でも、未来に過度に期待しちゃう(後回しにする)とか

失敗した時にゆるせない人はまた失敗するとか

すべてデータで、人間はそういうもの、と証明されたから。

 

私が特別だめな人間だったわけじゃない。

なんていうか、ただの人間だったんだね。

(それはそれで悔しい。笑)

 

そうだから、リノベーションなわけよ。

これまでの自分を否定して全部新しく変えるのではなく、

その人間らしさ(笑)を認めて、なりたいと思える、自分のために進めばいいだけ。

 

ケリー先生すごすぎ。

本読みながら、

ああーーーー分かるーーーーって声出してた、何回も。笑

 

 

こうしてセルフリノベを始めたのですが、

効果がいやすごい。

 

早寝早起き、常に部屋もきれいだし、いつかやろうと思ってたこともどんどん片付く。

 

本では一つチャレンジ(禁煙、ダイエットとか)を決めて、数ヶ月かけて克服したらその次というふうに言ってたけど、なんかいっきに改善された。こわいわ。笑

 

もちろんどんなに忙しくても続けていけるようなアドバイスが本には満載だから

なんどもケリー先生の力を借りながら、続けていきたい!これが普通になるまで。

 

なんか自然と空見上げちゃったりね、今までそんな心の余裕なかったんだなって気づいたり。

東京のせいにしてたけど、全然空広いよ。

 

変な自己啓発書とかセミナーとかにお金つぎ込むなら

これ読むべき、ほんとに。

ブックオフで200円で買えるから。

 

 

 

 

セルフリノベ始めませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相反する世界の中で

もうすぐ就活が始まろうとしてる。

私は焦ってるんだか、余裕こいてるんだかよく分からないんだけど

 

とりあえず何となくの「未来」に向けて動いてはいる。

 

忙しい。

 

驚いたことにこれまでの私とは正反対の位置にあっただろう、

今IT系のベンチャーでがっつりビジネスを学んでいる。

 

なぜ?

というのは自分の中でははっきり理由があるのでここでは割愛。

 

楽しみながらも程よいプレッシャーを感じながら

過ごしてる。

 

もう1つ2年ほどインターンとして属していNPOがあるのだけど、

二つの世界に入ってみて、

こんなにも異なる世界があるのかと驚いた。

 

私はそれこそ、社会貢献だとか世界の末端に思われているようなところに

目を向けようとしてきた人間で、もちろん今後もそうしていきたい

 

しかし、今加速するITという分野でのビジネスは凄まじい。

なんていうんだろう、凄まじい。

 

私は違和感を覚えた。

そのベンチャーの社長の話を聞いても、彼の目指しているところはあくまでお金。

〜〜円売り上げをあげることが人生の目標なのだ。

 

そのために客を集める。

釣るように集めては売る。

言い方が悪いかもしれないけど、私にはそう見えてしまう。

彼らはある意味勝ち組だ、

電車でよくみる疲れたサラリーマンよりもより自由な働き方でより稼いでいる。

 

NPOのひとたちは給料は少ないかもしれないが、それぞれ目指したい世界のために

毎日生き生きと働いている。

ただ確実に目に見える結果を出せているとは言えないかもしれない。

お金を集めるために事業の必要性、価値のアピール合戦をする。

 

別にどちらが正しい、正しくないというわけではないけれど、

こんなにも違うのか。

ここまで相反するのか。

 

ただ困惑した。

 

ゴリゴリビジネスの世界では、SDGsの動向なんて関係ないし、

貧困なんて関係ない。ただ目の前のマーケットを監視する。

 

社会のために動く人の中には、利益重視の企業を過激に嫌う人もいる。

 

なんだろうな。

 

この国には「ビジネス」が溢れかえって飽和状態の中、

無理やり斬新なサービス・製品を生み出し、なんとか利益を上げているようにも見えるし

 

この国の人はどこかで苦しんでいる人がいるのを知りながら、

それを実践的に救う役割はすべてNPONGOに任せてしまっているようにも感じる

募金しとけばいいやって感じ。

 

なんていうか、もう企業と市民組織の役割が二分されてるんだよな。

  

他の国はそんなことないんだろうけど。

日本人てNPOが金持つことを怪しみ、日本人が紛争地だの、貧困国で

実際に現場で奉仕することを異様に好む。

でも実際、NPO非営利組織だけど企業との違いは、利益を分配するかしないかだけ。

なのに完全に社会貢献することを望まれる。

ギリギリの人件費の中で、

募金や助成金のために「かわいそうな」アフリカの子供の画像なんかを使うわけだ。

またそれを日本人はよく好む。

 

会社は会社で、会社として存続するためには、金が必要。

始めたら最後まで金を回し続けなければいけない。

特にベンチャーはそれだけで精一杯。

今月どう生き抜くかが彼らの慢性的な悩みだ。

 

学生も翻弄されてる。

こういう世界にしたいと言いながら、結局は安定的な高収入、社会的地位の獲得が目標で、就活が進む。

結局実現したい夢というのは自分の日常生活範疇での精神的、物資的豊かさに落ち着き、

日々繰り返しの中に何とかやりがいを見出し、社会に埋め込まれていく。

目が死んだサラリーマンの出来上がり。

 

 

そんな中

「社会貢献」「世界変革」という好印象なストーリーを売りにして、

名前だけNPOといったり、それらしい企業理念を立てたり、

長期的なグローバル課題に向かう重要性の認識が高まる中、

それを利用して消費者、雇用者を募ろうとする動きもある。

 

あまり良くない形で相反する世界が結びついているのかな。

 

とりあえず今は違和感を感じながらも。営業をしているのだが、

相手の夢へのツールになるのなら売りたいと思っているし、

誰よりも応援していくポジションでいたい。

お金はもちろん欲しいけど。

 

でも今後は疎い日本人消費者もよりグローバルシチズンとしての自覚も持つだろうし、

それに伴って企業側も大手からどんどんCSRに力を入れ始めるだろう。

実際そういう動きはびんびん感じている。

 

働き方だって多様化してるし、本当に本当に実現したい世界のある熱い若者は

レールにハマらないでなんかをしでかすだろう。

 

経済的利益だけではなく、社会的利益も同時に追求しなければいけない時代になると思う。

そうでなければ、人間はもっと早く滅ぶ。日本人なんかすぐ消えるよ。極端な話。

 

だから、そのうち私のやりたいことができやすい時が来るんじゃないかな。

 

そうならならなかったとしても、私がそういう時代にしてやるわ。

なんつて。

 

 

 

 

 

 

 

はじめました

こんにちは。はじめまして。YOKOです。

 

都内で気ままに女子大生してます。

 

突然、ブログはじめました。

前々から始めようとは思っていたのですが、、やっと。

 

そもそもなぜブログを始めるかというと、

わたくし自分のこと、意見を分かりやすく相手に伝えるというのが非常に苦手で。

今年の目標として「発信力を高める」ということを掲げました。

(今年あと4か月だけどな)

 

それを昨年ウガンダで出会った親愛なるお兄さんがいるんですけど、

焼酎で夜をふかしながら話してたんです。

 

私   発信力を高めたいんです!

 

兄   ・・・発信力ってさ、なに?

 

 

んんん、、、、

 

その時答えられなかったけど

(まさに発信力の欠如)

 

今思うのは、

 

不特定多数の人にいかに自分の意見を伝えるか、その術、力強さ

 

ではなく、

 

もっと前の段階で

自分の心、頭にある感情、思考を言葉にして形にして可視化する力、

だと思うのです。

 

共感者を得ることが目的ではないし、

反応は常に受けてにゆだねられるものだし、押し付けてはいけない。

とりあえずカタチにしてみて、表に出してみて

ついでに何かフィードバックがあればそれによってさらに自分の意見が発展していく。

 

「自分との対話」の練習の場。

 

そんなところでしょうか。

完全に自分のためのブログスタートなわけです、はい。

 

お兄さんがいってた、

「その時にしかない感情、言葉をかきとめていくこと」

の大切さをかみしめて

できるかぎり

もうなんかしら思ったら

書き綴りたいと思います。

 

 

 

そんなわけで

よろしくどうぞ。