YOKO's Monologue

気まま女子大生の徒然備忘録

YOKO's Monologue

嫌われる勇気

 

なんて自分はだめなんだ

変わりたい

 

そんなことを思い続けて早8年ほど経ちましたかね

多少なりとも成長はしつつも

自分が変われない部分を痛いほど感じている

 

対人関係。

もうこれがほんとに最大の問題点。

 

それなりにコミュ力もあるはずだし

ばかできる友達だって

尊敬してる友達だって

なんでも話せる親友だって

いる。

 

だけど昔から私は人の評価を無意識にして

彼らを自分より上か下かと無意識に評価して

態度を変えていたのです。

なんどもいうが無意識にです。

 

評価軸は変化しているけれど

基本的に「上」になるのはスクールカースト上部の人間や

能力の高い人。最近では自分の意見を強く持ってる子とか。

「下」になるのは、それの反対。

気の弱い子とか、静かな子。

あとは自分に似ている子とか。

 

そして上に当てはまる彼らには見下されるのをおそれ

気を使ったり、距離をおいたり。

 

それだけじゃない。

人に注目されるのもこわい。

責任を負うのもこわい。

 

なぜこんなことになるかというと、

私は異様に外からの評価を気にするから。

評価=自分の価値

でここまで生きてきてしまった。

 

薄々気づいてはいたのだけど、

今日はちゃんと向き合う。

 

こないだ「嫌われる勇気」を読んで

アドラー心理学をちょこっとかじったのだけど

とても納得したし、私の問題点がすっきりしたので

それも踏まえて記録。

 

誰にでも承認欲求はあるけれど、それが強い人は

自己中心的なんだと。

人の反応ばかりうかがっているように見えて

本当は自分の体裁が一番大事。

 

自分は世界の中心ではないし、評価されることによって

他人との関係が許されるのでもない。

 

自分は大きな共同体の一部にしかすぎない。

でもそれはとても大きなもの。

学校、職場、家庭とかいった小さなコミュニティーで

私の存在は完結しない。

 

幸福は貢献感だとアドラーは言う。

貢献感をいだくことで大きな共同体のどこかで

所属感を得ることができる。

 

その貢献感というのは相手から「貢献してもらった」

という返事はいらず、ただ主観的に自分が感じれればそれでいい、ともいう。

 

まずは自己受容をする。

変えられないものは受け入れ、変えられるものは変える。

そして他者を信用する。

 

すべての他人は対等な横の関係である。

子供も大人も関係なく。

それぞれが課題を抱えているが

他人に認めてもらう、好いてもらうといったことは

すべて他人が決定する課題であり、

自分には介入できるものではない。

そこは信頼して待つしかなく、自分の課題に集中すべき。

そして評価はなく、感謝だけすればいい。

対等なのだから。

 

相手が子供であっても勉強しなさいという介入は

他人の課題への介入であり、ただよりよい選択肢への援助

や協力をすることが望ましい。

 

他者のために役立っていると自分が思えるために

貢献をすればいい、と。

 

私は人に嫌われるのを極端におそれる。

なににおびえているんだろう。

ずっと私の中にあった疑問だ。

 

その先まで考えることはしなかった。

逃げないで考えてみよう。

 

人からの評価はまさに私の価値だった。

ここにいていいと、彼らとともにいていいという証。

所属感というやつ。

 

ただその評価に縛られるがゆえに

自分をうまく出せなくなってきた。

 

相手に合わせすぎて会話がうまくできない。

正解があると思って自分の意見が言えない。

責任逃れから後輩への指導を避ける。

嘘をつく、見栄を張る。

 

もう偽ってるじゃねえか笑

 

素晴らしい人間でないといけないと、

他人にとって価値のある人間でないといけないと。

息苦しいのにまた無理してうまくいかず

最後はあの子になれたらいいのに。

自分を放棄しようとする。

 

薄々きづいてはいたんだ、

就活の自己分析の時も私は

人に評価されて動いて、さらに評価されるために動いてた。

アフリカ行ったのもそう。

何か大きなことして評価されたいという欲があったのは否めない。

アイデンティティ的なアフリカの興味だって

彼らを下に見て、彼らを助けてメサイア的に評価してもらいたかったんじゃないのか。

スピーチだって先輩やジャッジさんに一言ほめられていなかったら、ずっと冴えない幽霊部員のままだっただろう。

 

ああ、絶望する。なんてやつだ。

 

なぜ評価に縛られるんだろう。

人に愛されている自分が好き?

んー答えになってないな

 

他にはどんな自分が好きだろう?

行動力あるところ?

ダンスしている時?

素敵なカフェにいる時?

だめだ、全部客観的視線を意識したものだ、

 

外面ばかり気にしてたら

自分の中身がよくわかんなくなった。

自己中なくせにきちんと自分を見つめられていなかった。

 

小学生のころは無駄に自信があったのにな。

たくさん傷つけたし傷ついたな。

 

自分の好きなものなんだろう。楽しかったのはなんだろう。

絵を書いていた時。

弾きたい曲を無心で練習した時。

全力でやった缶蹴り。

仲間はずれにされても仲良くした友人たち。

 

さっきメサイア的に評価されたかったといったけど

初めてアフリカやイラクの現状を知った時に

湧き上がった正義感なる情熱も

私の大事な感情だったきがする。

 

あ、幸いだったのは情熱をもとに就活を終えられたこと。

変に虚構をつくらなくてよかった。

 

 

大事なものを少しずつ思い出してきた。

無駄に人の気持ちを察してしまうところも

自分が決めた正しいと思う道を進むところも

大切にしたいね。

自己受容はできそうかな。

 

そして他人への信頼。

私は「下」にあたる人は敬ってくれるからという意味では

関係に信頼をおいていたかもしれない。

でもそうじゃなくてみな対等に。

嫌われること、見下されることおそれずに

まずは信頼してありのままぶつからなきゃ。

こわいけど。

 

自分の評価のためじゃなくて感謝をえるために、

でもあくまで自分のために貢献感をえよう。

 

これは今年の目標かな。

 

まずは自分が主観的に好きだと思える自分を見つけよう。

きちんとありのままを愛そう。

そして他人を信用しよう。おそれずに。