YOKO's Monologue

気まま女子大生の徒然備忘録

YOKO's Monologue

愛されるより愛したい

「愛されるより愛したいんだよね」

 

時々ぼやく人がいる。

なんだなんだ、散々モテてるけどいい人いないんだよねアピールか?

と前は思ってた。

けど、最近は自分もなんとなく共感することが増えて

悩みのようなけっこう重たい難題であることに気づいてきた。

 

なんだかかっこいいポリシーのようにも聞こえるけど

実際、実現できてる人ってどれくらいいるんだろう。

 

愛されるっていうのは

身内だったり他人だったりに自分の存在価値が認められ、求められ、自分の居場所ができること。

 

愛されたいという欲は人間誰しも持っているはずで

マズローの5段階欲求でいうと4段階目の内的に認められたい「承認欲求」に当てはまるもの。

そりゃあ万人に好かれないとしても自分を認めてくれる人はいてほしい。

 

愛したいというのはその上の「自己実現欲求」に属するものではないかなと。

ただ愛したいんじゃなくて、「愛されるより愛したい」。

愛されるために愛したいんじゃなくて、大げさに言うと愛されることがなくても愛するという無償性があるもの。

少なくとも自分は愛していたいという自己実現のひとつになるんじゃないかな。

 

ここで一度は頭によぎったであろう

kinki kidsの「愛されるより愛したい」の歌詞を見てみる。

 

「どうだっていいじゃんそんなこと

なんだっていいじゃんそんなこと」

おきまりの強がりを言っても

 

みちで拾ったチラシで紙ヒコーキ飛ばした

気持ちとは反対へ飛んでく

 

ギリギリの大人たちが積み重ねてるすべてのもの

壊さなきゃ新しい明日は来ない

 

愛されるよりも愛したい真剣で

いい加減で頼りなくてそんな僕だけど

悲しみの天使まだ迷うけれど

青い風に吹かれながら走り続けたい

 

現状に何かしらの不満がありながらどうでもいいふりをして過ごす。

でも行きたい方向というのは明確にあって、

そちらへは壊さないといけないし、ためらいもある。

 

この歌はいろんなシチュエーションが想像できるけど

「愛される」という他動的に作られた環境の中で

自分を殺して生きていてもいいのか

自分の思う方へ走り出したいっていう葛藤を感じる歌に聞こえた。

 

対象はなんであれ、愛するという行為は

強い決意のもと生まれるものであって

最高の自己実現なんではないかな。

 

ただそれには犠牲も伴う。

2番の歌詞を見てみる。

 

「泣いたっていいんじゃつらいなら

逃げたっていいんじゃつらいなら」

恥ずかしいことじゃない...だけどね

 

シャツを脱ぎ捨てた胸

なんだか急に空っぽで

鏡に映る僕は誰だろう

 

初めからかっこのいい

おとなになんてなれないから

怖がらずそのドアを開ければいいだけ

(中略)

扉の向こうに光る空はあるの

わからなくてつかめなくてそんな僕だけど

悲しみの天使まだ迷うけれど

青い風に吹かれながら走り続けたい

 

愛することの対象が人間だった場合

愛してくれる対象と愛する対象が必ずとも同じとは限らない。

愛することを決意すれば自分へ向けられる愛は実りのないものになる。逆も然り。

当然、愛した分の見返りを求めてしまうもので、

無償の愛なんてむなしいったらありゃしない。

たいてい一方的に愛し続けるというのは不可能。

 

2番の歌詞は

愛することを決意したことで、見返りのないつらさや

自分にむけられた愛が消えたことによる虚無感

この先本当になりたい自分になれるのかという不安

を表している気がした。

 

それでも扉開けちゃうんですねえ。

 

いやあなんて深い歌だったんだろう。

数時間前までサビしか、いやワンフレーズしか知らなかったから衝撃。

 

愛されるより愛したいというのはどれだけ

勇気のいる自己実現欲求かというわけです。

 

キンキさながらにこのフレーズをつぶやく人はここまで大げさじゃないにしても

それなりに承認欲求は満たされ、さらなる自己実現を目指す、実は崇高な人なのかもしれませんね。