YOKO's Monologue

気まま女子大生の徒然備忘録

YOKO's Monologue

ジコチューで何が悪い

 


自分のことだけ考えて物事を行う人は「自己中(心的)」と言われる。

周りの目線関係なしに自分自身に満足することやその行動を「自己満(足)だ」と言う。


損得勘定なしに誰かのために動くことが美徳とされる。

 そうか、自分は置いておいて相手を思いやればいいんだな。


いやでも、なんだか最近は

「自分らしさの探求」「好きなことで生きよう」「意思を貫け」

とかいう言葉がやたらあふれる。

不協和音でいいじゃないか、という歌もある。


結局どうしたらいいんだろ。

 

でも私は、「誰かのために」なんて生きられないと思うのよね、誰だって。


人が幸福を感じる時って、

他人に貢献できて自分の価値が発揮できた時だってアドラーさん言ってた。

だからどんなお金持ちも隠居することなく働き続ける。

 

その人を助けること、その人の笑顔が見たいと自然に思うことは誰にでもある。

その状況を望むのは、その人ではなく私なわけであって。

それを達成することで「確実に」気持ちを満たされるのは相手ではなく、

私なわけであって。

まあこれは愛と呼ばれるやつなんですかね。

 

もしかしたら、これは限られたシチュエーションで起きるものかもしれない。

けど、人の幸せは他人への貢献であることはどこでも変わらないとしたら。

 

仕事の場面で考えてみる。

クライアントに対して全く求められていないこうあるべき!な提案をしたとする。

だいたいこういうのは、

「よかれと思って」やることは結局は自己満(足)でしかない、と片付けられる。

 

でも例え、相手の意向を全く無視していたとしても、

「よかれと思って」は本当に「よかれ」と思ってるわけであって。

「こうあるべき!」にはそうなれば相手にいいことがあるという思いがあるんです。

 

本当に相手が求めているものを探して、見つけて、与えて、

それで得られる貢献感っていかがなものか。

ほら、これが欲しかったんだろうって、やってやってる感が出ないんでしょうか。

いいヒモになってめちゃめちゃな依存関係にならないんでしょうか。

そもそも相手が目に見えないところで本当に求めているものを

見つけ当てることってできるんでしょうか。

 

自分の幸福感のためだとしても、他人への貢献感が必要条件ならば

相手に「こうなってほしい」「これを伝えたい」「これをわかってほしい」

という自己満な思いでも

それが絶対相手のためになると信じている。

 

だから、私はジコチューでジコマンでいいと思うんだ。

 

思い、信念はジコチュー、ジコマンでいい。

 

ただ行動はそれじゃいけない。随時修正していかないといけない。

 

ウガンダにいた時も、だいぶ自己満な「私はこうしたい!」という考え方で動いていた。

でも思いは常に、大好きな村の人のため、家族のためと思っていたし、

私の目指すものが村の人と違う知った時は活動内容や活動の仕方を変えた。

 


ここまでで話しているのは、

「それなりに大切な相手」と「自分」の2つだけのアクター間の関係の話。

 

でももっと人間関係は複雑で、「相手」というのが複数いれば、

大切な相手とどうでもいい相手もでてくる。

例えば、会社に貢献するために、

やたらめったら押し売りセールスしちゃう営業マンとか。

セールスする相手は自分の得のための相手でしかない。

そもそも他人なんてどうでもよくて、自分さえよければという人もいるかもしれない。

 

そういう人たちこそ、ジコチューでいいと思う。

 

もう十分自己中だろ、と思うかもしれませんが、

彼らは、自分の幸福感を得ることに真剣に向き合っていない。

 

会社から数字だけで評価される営業マンの価値は、本当に彼の価値なんでしょうか?

自分さえよければという人は孤独ですよね。

自分の意思を通せる環境に、自分の権威に価値を感じているだけではないですか?

 

本当に幸せですか?と聞きたい。

自分にできることで一人でも多くの人のためになれた時の幸福感はとてつもないもの。

どうでもいい人がいるかもしれない。けど、

自分の幸せのためにと思えたら、貢献したい人は自然と増えるのではないかね。

 

「情けはひとのためならず」ってあるけど

これの意味ってそういうことだと思うんです。

 

他人への貢献は手段でいい。ゴールは自分のため。

でも自分のためだからこそ、本気で他人に貢献できると思うんですよ。

 

これまで、社会で起こったイノベーション

最初はイノベーターの自分本意な欲求からだった。

 

SONYのウォ-クマンが生まれたのだって、

IPhoneというスマートフォンが生まれたのだって、

全部彼らの「自分がほしい」から始まった。

絶対使えばいいものだという信念が顧客に共感し、

革命的な流れを生んだ。

 

純粋な「誰かのために」なんて存在しない。

 

結局みんな求めているのは自分の価値を認識する「何かいいこと」。

その「何かいいこと」をお金とか権力とか地位とかしょーもない指標にしないで

自分の幸福感にして、それを真剣に求めれば

その結果自然に周りの人が幸せになるんですきっと。

 

もっともっとジコチューにジコマンに生きよう。